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市をめぐる誇大妄想 (10) 国々に市あり

 前項に続き、魏志倭人伝からの一部抜粋である。
 ○尊卑は各々に差序(序列)があり、相互に臣服するに足る(上下関係がある)。租賦を収め、(それを収蔵する)邸閣(倉庫)がある。国々に市があり、有無を交易し、大倭(ダイワ:「女王の統治する国々の集合体か?) にこれを監督させる。       

 ○女王国より北は、特に一大率(一つの統率権力)を置いて、諸国を検察させる。諸国はこれを畏れ憚る。(一大率は)常に伊都国にて統治し、(その権勢は)国内においては、(中国の)刺史(郡国の政績・状況を報告する官吏。州の長官をさすことも。)の如くである。
 (倭)王の使者が、京都(魏の都・洛陽)・帯方郡・諸韓国および郡に詣でる際は、倭国が全て津(港)でこれらを捜露(検分)する。文書や賜遺の品(中国からの下賜品)を女王へ献納する際は、間違いがあってはならない。
 下戸(庶民)が大人(身分の高い人)と道で逢うと、ためらいがちに草叢に入る。(大人が)辞を伝え、事を説くと、或いは蹲(うずくま)り、或いは跪(ひざまず)いて、両手を地に着き、恭敬の意を表する。返答は「噫(おお)」というが、それは(中国の)然諾(「承知しました」)のような意味である。

 ○その国は、もとは男子を王として七、八十年を過ごしたが、倭国は乱れ、互いに攻伐する年が続いたため、(国々が)共に一女子をたてて王となす。名づけて卑弥呼(「ひめみこ」の音写か?)という。鬼道に従事し、よく衆を畏れ惑わす。年は既に中年を越えるが、夫壻(夫)はなく、弟がいて、治国を佐(たす)ける。
 王となって以来、(卑弥呼を)見たものは少ない。千人の(奴)婢が仕え、男子はただ一人が、(卑弥呼の)飲食を給仕し、辞を伝え、居拠に出入りしている。
 (居拠には)宮室・楼観(たかどの)・城柵をおごそかに設け、常に人がいて、兵が(これを)守衛する。    (この項続く)

 弥生時代の末期、3世紀末頃、「倭国」には既に徴税システムがあり、収税物を邸閣(倉庫)に収めて管理していた。また諸国の市も「大倭」の一元管理・統制下にあったようだ。(→【「王の庭」と自治都市】) 
 女王国の北は「一大率」に検察させるとあるから、「東夷」の国は大まかに言えば、「女王の国」と「女王に属さない国」の二つに分かれていたのだろう。そして中国(魏・呉・蜀)との交易は、「大倭」が厳重に管理・検分する取り決めになっていたから、「女王に属さない国」の交易は、全て密貿易とみなされたかもしれない(密貿易船→【唐寺(とうでら)と開港地】・海賊→【『本堺』(15)聖徳太子堂】・【建長寺船と海の交易権】)。また或いは「倭国の北方の女王に属さない国」は、中国の中原以外の場所、例えば黒竜江以北の大陸や長江以南、それにフィリピン諸島やインドネシア、ポリネシア、インドシナなどと交流し、交易国の棲み分けをはかった可能性もある。

 ところで魏志倭人伝に見える「倭国乱相攻伐暦年乃共立一女子名曰卑弥呼」の記述から、女王「卑弥呼」の擁立は、倭に属する諸国の合議によるものであったことがわかる。AD200年頃から男王の下で80年も戦乱が続いては、市場は安定せず、交易におおいに支障があっただろう。
 卑弥呼は、ともすると利権闘争に走りがちな諸国を統率するシンボルとして、倭国の合意によって擁立され、魏王の権威を得て、楼観や城柵のある宮殿で1000人もの婢(宮女)と暮らし、外洋交易の要の役割を担ったようだ。それはまるでシュメールの女神「イシュタル」が、ギルガメシュ王の支配の下、城都「ウルク」の守護神として宮女たちに傅かれ、神殿に祀られた様にどこか似ている(→【市をめぐる誇大妄想(5) 「ギルガメシュ叙事詩」】)。
by jmpostjp | 2008-07-09 18:39 | Trackback(1) | Comments(0)
Tracked from View from TH.. at 2015-02-28 18:01
タイトル : おじや おぢや
小千谷 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%8D%83%E8%B0%B7%E5%B8%82 新潟県中部、越後平野と山間地域の接点に位置する。 南から信濃川が市内に入り、山本山にぶつかり蛇行し、一度南東の長岡市川口地区へ抜け魚野川と合流した後、再び市内に入り中心部を南北へ縦断する。西は頚城丘陵へ続く西山丘陵、南は魚沼丘陵へ、東は東山丘陵、北は越後平野へ続く平地が広がっている。市内は河岸段丘上にあるため、坂が多く、市街地のほぼ中央には船岡山がそびえる。ま...... more


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